燕京八景(北京八景:燕京とは北京の古称)とは、金の章宗が選び、清の乾隆帝が足を運び、自ら題字を書き、石碑を残した北京の景勝八選。
金の章宗と清の乾隆帝の間には700年ほどの歳月がありますが、風流を好むこの二人の皇帝には、美に対して相通じるものがありました。
およそ800年も昔の、金の章宗が選んだ「燕京八景」は、元、明、清と受けつがれましたが、「金台夕照」については、清代に書かれた『燕京歳時記』には、北京東部の朝陽門外五華里(2500メートル・現、南壇付近)にあると書かれていますが、乾隆帝御筆の「金台夕照」という石碑は、いまは姿を消して行方不明であり、「金台夕照」自体もどこだったのか、いろいろの説があります。
八景一覧表
 
スポット 燕京八景名 燕京八景 (参考)
北京十六景
章宗 乾隆帝
居庸関 居庸疊翠 居庸関の濃い緑を頌える 燕塞雄関
徳勝門 薊門飛雨 薊門煙樹 徳勝門外に降る雨を思う  
盧溝橋 盧溝暁月 盧溝橋の空に浮かぶ暁の月を捉える 盧溝獅醒
玉泉山 玉泉垂虹 玉泉山に掛かる虹を描く  
香山 西山積雪 西山晴雪 香山に白く積もった雪を愛でる 香山紅葉
北海 瓊島春陰 北海に浮かぶ瓊島の春景色を歌う 白塔堆雲
中海 太液秋風 中海の秋景色を想う  
金台 金台夕照 金台の夕景色を記す  
「燕京八景」が最初に文字として現われるのは章宗の明昌年間のことを記した『明昌遺事』という本で、この本に記されている「燕京八景」とは、居庸関の濃い緑を頌える「居庸疊翠」、徳勝門外に降る雨を思う「薊門飛雨」、盧溝橋の空に浮かぶ暁の月を捉える「盧溝暁月」、玉泉山に掛かる虹を描く「玉泉垂虹」、香山に白く積もった雪を愛でる「西山積雪」、北海(現在の北海公園の池)に浮かぶ瓊島の春景色を歌う「瓊島春陰」、北海の南に続く中海という池の秋景色を想う「太液秋風」、南壇あたりにあったのではという金台の夕景色を記す「金台夕照」です。
この「燕京八景」は、その後、元、明、清でも景勝の地として親しまれてきたようで、やはり風流皇帝だった清の乾隆帝(1711〜1799年)は、そのすべてに足を運び、そこで題字を書き、それ石碑に残しています。
この石碑の文字は、金代の「薊門飛雨」が「薊門煙樹」に、「西山積雪」が「西山晴雪」に書き換えられています。前者は明代頃から、後者は元代頃から変ったようで、いまでも北京海淀区薊門橋の近くにある薊門公園には、乾隆帝の筆による「薊門煙樹」の石碑が、香山公園には同じく乾隆帝の筆による「西山晴雪」の石碑が残っています。
 
八景詳細
 
「居庸畳翠」
長城の長さは6000q(1里=500mで、全長は12,000里)。
長城に中で最も重要な城壁は、居庸関と山海関と嘉裕関で、こ
れらは国家重点文物として保護されています。
居庸関は秦代に着工され、北斉の時代には”納款関”、唐代に
は”薊門関”と呼ばれ元の時代になって居庸関の名になりまし
た。八達嶺は、居庸関の前哨を担っています。
「薊門煙樹」
徳勝門外、土城の関門にあり、昔の薊邱の場所だといわれてい
ます。楼閣は既に無く、門が小高い二つの丘の形で残っている
だけです。緑濃き樹木が茂り、燕京八景に選ばれましたが、今
は、木々は枯れ、唯一乾隆帝の石碑だけが残っています。
「盧溝暁月」
北京市より西南、へ15キロほどの郊外の盧溝橋。1937年7月
7日夜、日中全面戦争のきっかけとなった「盧溝橋事件」の現場
です。この橋は、芸術的価
値が高く、北京で現存する
最古(金代1192年建造)の
石造りの橋です。欄干の石
獅子はすべて違った姿をし
ており、橋の脇には、清の
乾隆帝による「盧溝暁月」
の石碑があり、金代“燕京
八景”の一つであったことを
示しています。この白い石橋は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」
の中で世界でもまれに見る美しい橋と紹介されています。
「玉泉垂虹」
玉泉山に掛かる虹を描く。
「西山積雪」
香山に白く積もった雪を愛でる
香山の総面積は160ha、香の竈の形に似ていることからその山
の名前が付けられました。北京の有名な森林公園で、秋になる
と一面の紅葉で、火が燃えているかのように美しく見えます。
「瓊島春陰」
金時代に湖水を掘って瓊島を作りその上に亭子が建てられ、元時代に
三次にわたり、島は拡張された。その後清国乾隆帝時代、雄大且つ精
巧な皇室の森が完成するに至った。
1651年、「白塔」のチベット仏教寺院が建設された。
「太液秋風」
現在、中国の要人の住む中南海。
その中海の秋景色を想う「太液秋風」
 
「金台夕照」
南壇あたりにあったのではという金台の夕景色を記す。
 
 

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